東行庵 2020.07.19BLOG, 風景 東行庵の地は清水山といい、幕末の頃奇兵隊軍監山縣有朋(当時は狂介)は麓に草庵を建て「無鄰菴」と名付けていた。ちなみに後に山縣が京都に建てた別宅を無鄰菴というのは、この下関の無鄰菴にちなんで名付けられたものである。 慶応3年4月(1867年)に死去した高杉晋作の遺骸は、遺言により奇兵隊の本拠に近いこの地に葬られた。 Tweet Share BLOG, 風景 梅雨の庭 マンゴー